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真のママであるために

真のママであるために

決意

仕事のストレスがたまってるようだった。仕事が少ない時期で私と居合わるとすぐに怒鳴り散らし暴力を振るった。顔に傷が出来たときもあるし夜中まで長々とひどい目にあった日は泣いて腫らした目で近所さんとであったこともあったので周囲は私がひどい目に合ってる事は知っていた。だれも救ってくれる人なんかいない。自分でこの場から逃げ出す勇気がなくては今のこの状況は変わらない。だけどこのときの私は弱りきっていた。泥沼から足が抜けないでいる私はただ立ち止まっていた。どんどん追い込んでいく自分。そんな自分も悪いのだ。周りには人事だと思って軽々と「離婚しちゃいなよ」と言う。その言葉に責任はない私を助ける気もない。自分の中で自分の答えを出さなきゃならない。私は子供と遠くに住んでる友人の家に行った。しばらく居させてもらって考えた。このまま旦那とは離れていようかと思った働くところも探してみた。子供を一人で働きながら育てるには住むとこもないし高給なとこと言ったら夜の商売しかないか。私はクラブに面接に行ってみた。店長に「今は子供を育てて暮らしていくにはここでもお金は足りなくなるよ?別のとこを紹介してあげるからそっちに行きなよ。」そう言われてそっちの店の社長と会うことになったけどそこはソープだった。後から思えば私は見下されていたのだ。切羽詰っている私が簡単に仕事につくだろうと思われていた。だけど私は始めやるしかない。子供と2人であの人から逃げて暮らしていけるにはこんなこともしなくちゃならない。そう思いつめていたでも、このような商売にはいって子供に悪い気がする。よくない。そういう考えの方が勝ってしまった。しばらくしてお金も底をついてしまいそうなので自宅に帰ってしまった。不倫相手に会った。マンションを借りるからそこにいないかと言ってきた。でもそこには頼らなかった。それから間もなく起こった喧嘩の後、もう2度と家には戻るまいと決心して飛び出した。養父は結婚してからまったくやりとりがなくなっていたし、相談したことはあったけど助けてくれなかった。実父は奥さんとまだ小学生の弟がいて私が行ったら迷惑かけてしまう。自分でどうにか出来れば・・・。とにかく学生時代の友人に助けを求めた。友人は仕事探しなど一緒にしてくれた。まずは暮らすところも探さないといけない。でも、子供を抱えた女一人には大家もすぐには貸してくれない。仕事もしてないからだ。友人の家にも長く居る事はできないから健康ランドにしばらく寝泊りした。子供とよく眠れない場所でずっと我慢した。外食ばかりでろくなものも食べさせてあげられなかった。
離婚の決心はしていたので帰ることはできない。どうしようもなく実父のところに電話した。義母のひろみさんが出て「どこにいるの?おいでよ」と言ってくれた。友人が車で実父のとこまで送ってくれた。正直、友人にはどうにもできなかったし、私を送って荷がおりてホッとしたのではないかと思う。実父のところに行ってもすぐにほっとすることはなかった。これから離婚の手続きがある。親権問題もある。これから考えなくちゃいけない事がたくさんあった。


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